「慰める行為」について独り言。マスターベーション的な意味ではない。
人が落ち込んでいたり、ネガティブな状態にあればあるほど、かける慰めの言葉は重いものであり、軽いものであってはならない。軽い茶化しや冷やかし、言葉の上滑りで終わらない慰めは、その人のことをそれなりに知っていてこそできるものだと思う。つまり、自分は基本的に「人に下手な慰めの言葉はかけるものではない」と考える人間である。
ユーモアが人を慰めることもあるかもしれない。俺はユーモアがある人間ではないので、そういう慰めの仕方は苦手である。それに加えて、上記のような考え方を持っているので、基本的に人を慰めるのは得意ではない。ただ、それなりに相手のことを知っていて、メンタリティがわかる人であれば、必要があればそれなりに考えてそれ相応の態度を取るだろう。
もう少し人に気の利いた言葉を言えるパーソナリティであればなぁ、と、他人が他人を慰めている場面に出くわす度に思ったり。端からみたら優しい人間ではないのだろう。
#twitterで上記のような考え方を発言したら、bravotan にKYだと
#怒られたのだが、普段考えていることが言葉になったのは大きな
#気づきなので、ここに記録しておく。
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